「アウシュヴィッツ強制収容所のアクセスは?」
「どんな歴史があるの?」
こんにちは!
今回はアウシュヴィッツ強制収容所について書いていきます。
僕は一昨年にアウシュヴィッツ収容所に1人で行きました。
そこで当時の惨劇を目の前にして、とても辛い思いをしたのを覚えています。
今回は僕が実際に行ってみてわかった、アウシュヴィッツ強制収容所についての歴史、行き方、感想などを書いていきます。
最後に歴史を勉強できる映画や他の博物館をご紹介します。
目次
アウシュヴィッツ強制収容所への行き方(アクセス)
ここからは僕が実際に使った行き方をご紹介します!
1.クラクフ駅のバスターミナルに行こう。
電車でクラクフに行くと思います。
電車乗り場の裏側にバス乗り場にあります。
ここにチケット売り場があります。
ですが、ここで買ってはいけません!
2.アウシュヴィッツ行きのバスを探そう。
バス乗り場内に着いたら、チケット売り場に行きましょう。
ここで買ってはいけません!!
チケット売り場のおばさんにポーランド語で捲し立てられることになります。
そしてあっちの売り場に行きなさいと愛想なく言われ、言われたとおりにしたらまた違うおばちゃんに謎のポーランド語で「どっか行け」と言われ、たらい回しにされる可能性が大です(僕のこと)。
チケット売り場の上にある電光掲示板でアウシュヴィッツ行きのバスの時間を確認してください。
ここで注意なのが、ポーランド語でアウシュヴィッツは「A~~~」ではなく「O~~~」になります。なのでOから始まります。
アウシュヴィッツ=Oświęcimです。
出発時間とバスの停車番号を控え、ターミナル内のベンチで休憩などして時間を潰します。
3.直接バスに乗ろう。
バスの出発10分前にバスターミナルに行き、アウシュヴィッツ行きのバスを探しましょう。
運転手さんに「I have no ticket」と言い、直接、小銭でお金を払います。たしか500円もしませんでした。
バスで1時間ほど走ると、アウシュヴィッツに到着します!
4.インフォメーションでチケットを貰おう。
アウシュヴィッツに着いたら人の流れに身を任せて、収容所の方まで行きましょう。
そしてインフォメーションに行きます。
入場料は無料です。
しかし当日の無料チケットは16時からしか入場できません。
16時までは英語、ポーランド語の有料ツアーで入場できます。
僕は11時に着いてしまった(というよりそんなこと知らなかった)ので、先にビルケナウ収容所に行きました。
ビルケナウへは、アウシュビッツから無料のシャトルバスが出ています。
シャトルバス乗り場は施設の目の前にありました。
アウシュヴィッツ強制収容所の日本語ツアーについて
行ってみてわかったのですが、英語ができなければあまり楽しむことができません。
歴史を説明する文字は基本的に英語です。それをぼくは読めないので、実際に肌で現場を感じることしかできませんでした。
そんなときに頼りになるのが日本語ツアー。
VELTRAというツアーサイトで、アウシュビッツ収容所の日本語ツアーを行っています。見たところ日本人ガイドとして有名な中谷さん、そしてポーランド人で日本語が堪能な男性、女性がランダムで案内をしてくれるようです。
お値段は1万円からあります。
アウシュヴィッツ強制収容所 日本語アシスタントがしっかり解説!日帰り見学ツアー<日本語/少人数制/クラクフ発>
しっかりと歴史を感じて、過去を学びたいのなら、日本語ツアーに参加しましょう!
アウシュヴィッツ強制収容所の歴史
ここからは現地や映画、本で学んだアウシュヴィッツの歴史を、ぼくが撮影した写真とともにご紹介します。
アウシュヴィッツ強制収容所とは
アウシュヴィッツ強制収容所とは、第2次世界大戦中にヒトラー率いるナチス党政権下のドイツが設営したユダヤ人絶滅、労働力の確保を目的とした収容所です。
初めはドイツ人の犯罪者を収容することが目的でした。
しかし時が経つにつれ、ユダヤ人、政治的犯罪者、精神障害者、同性愛者などが収容されていきました。
アウシュヴィッツ強制収容所だけでしたが収容人員が溢れてしまったため、第二の強制収容所、ビルケナウ強制収容所が建てられます。
ユダヤ人110万人、ポーランド人14万~15万人、ROMA(ジプシー)2万3千人など、合わせて130万人以上が収容されました。
アウシュヴィッツ強制収容所に連行される収容者
連行される人々は何も知らされずに列車に乗せられます。
そして光も食料もないまま数日間の旅に耐え、収容所に連れて行かれました。
列車には窓はなく、降ろされた人々は久々の光に目がくらんだそうです。
死に向かう線路です。
収容所に着くと選別される
連行された収容者達は、まずドイツ人により選別をされました。
選別とは「労働に適しているかどうか」です。
適していない人間は、ガス室に連れられて殺害されます。
多くは女性、子供、老人が選ばれました。
当時ガス室で使われたガス缶です。
ガス室に連れて行く際、「シャワー室を浴びる」と伝えられました。
荷物を全て没収される
収容者達の荷物はすぐに没収されます。
名前や住所の書かれたカバン
大量の靴
その他、髪の毛やメガネ、義手、義足、子供のおもちゃなど、大量の生活品が展示されていました。
カバンには所有者の名前を書かせました。そうすることにより、収容者たちは「ちゃんとここから帰れるんだ」と希望を持つことができます。
他にも帰りのチケットを買わせたり、土地を買わせるなど、この先の人生を想像させ希望を持たせるように仕向けました。
収容後の生活
労働
収容者たちは毎日労働を強制されました。
中には穴を掘って、その穴を埋めさせる拷問のような労働もあったそうです。
労働中に命を落とした人は沢山いたそうです。
制服
全員同じ服を着させられます。
食事
朝食はコーヒーと呼ばれる濁った液体。
昼食は腐敗した野菜で作られたスープ。
夕食はパンとバター。
とても満足行く食事ではありませんでした。
人の食事を奪うなどの暴動も起こるなど、皆生きるために必死でした。
寝床
収容者たちは小屋で寝ていました。
一人のスペースに2人で寝るので十分に体力を回復させることはできません。
入場ゲート
入場ゲートには「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」という標語が挙げられています。
よく見てみると3文字目のBが反転しています。それは収容者たちの小さな抵抗でした。
脱走不可能
収容所の周りには有刺鉄線で囲まれ、更に監視棟から銃口が向けられていました。
有刺鉄線には高圧電流が流されているので、実質脱出は不可能でした。
さらに脱出が起こると、脱出者の人数の10倍の収容者を無作為に選び、見せしめとして死刑を命じられました。
焼却炉
1日300体以上もの死体を焼却していました。
大量に死体がでた場合は、外で山積みにされて焼却されました。
死の壁
この壁の前で沢山の人が銃殺されます。
見せしめの死刑台として使われていました。
今では多くの花が手向けられています。
歴史の紹介はここで終わります。
アウシュヴィッツ強制収容所を見た感想
僕がアウシュヴィッツ強制収容所を一人で回った感想を書いていきます。
1.観光客が多すぎ!!!
もう展示物というより人にうんざりしました。
僕が訪れた時はツアー客+無料のチケット勢がいたので、人混みをかき分け展示物をみるのもやっとの状態でした。
そして展示物を見ていても中国語が飛び交っていて集中できません。
2.解説の英語が読めない。
展示品の作品は、英語とポーランド語、ドイツ語で解説されていました。
英語をがんばって頭で訳しながら読んでいましたが、中盤疲れ切ってしまいました。
「しっかりと学びたい」という方は先程もご紹介しましたが、日本語ツアーをおすすめします。
3.ほとんどの日本人はこの悲惨な歴史を知らない。
アウシュヴィッツには年間数十万人の来訪者がいるようです。
しかし日本人は1万人にも満たないと言います。
外国人が日本に来ても広島に行かないように、日本人も負の遺産を避けている気がします。
風化してはいけない歴史を知ることで思い浮かぶ疑問があるのではないでしょうか。
4.アウシュヴィッツ収容所の周りに住宅地がある。
無料チケットの入場を待つ間、アウシュヴィッツの周りを散歩しました。
歩いていると、ポツポツと小さな商店が建ち、次第に団地のマンションが見えてきました。
その団地前の公園で小さな女の子がブランコに乗っていて、男の子達がサッカーをして遊んでいました。
負の遺産からほんの10分ほど歩いたところで、子どもたちが元気に遊び、みんなで生活している。
考えてみれば普通のことなのですが、僕にはとても印象的でした。
アウシュヴィッツ強制収容所に行く前に見たい映画
実際に行く前に映画で勉強するのもおすすめです!
僕も映画で予習してからアウシュヴィッツに行きました。
1.シンドラーのリスト
スティーブン・スピルバーグ作、シンドラーのリスト。
ユダヤ人虐殺から1100人以上の命を救ったドイツ人実業家を描いています。
アウシュヴィッツの歴史を描く代表的な映画。
2.ライフ・イズ・ビューティフル
カンヌ国際映画祭で審査員グランプリを受賞した作品です。
ユダヤ人(イタリア人)家族を視点でホロコースト時代を描いています。
ぼくがアウシュビッツに行く前日に見た映画。家族愛がテーマなので見やすく、歴史もわかるので良い映画です。
イタリア語の映画を初めて見ました。
3.ソフィーの選択
メリル・ストリープ主演の感動作品。
映画サイトのレビューで絶賛されています。
ドイツにあるベルリン・ユダヤ博物館もおすすめです
ホロコーストの歴史を知るためにアウシュヴィッツに行くのが一番ですが、ドイツにあるベルリン・ユダヤ博物館も見逃せません。
なんとこの博物館の設計者、ダニエル・リベスキントの母はアウシュヴィッツでの犠牲者になります。
斬新的なデザインでコンペに勝ち抜き、竣工されました。
被害者の息子が設計しているだけあり、かなり心を揺さぶられる建物でした。
展示品には多くの工夫がされており、アウシュヴィッツと同様に歴史の残虐さを表現していました。
画像の顔の円盤を踏むと、まるで犠牲者の声のように、甲高い音が鳴り響きます。
まとめ:アウシュヴィッツは負の遺産、後世に伝えるべくもの
アウシュヴィッツ強制収容所をご紹介致しました。
このような過去を風化させないためにも、ご自身の目で見ておくべきです。
実際に行くことをおすすめします。
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